11月30日の南日本新聞社会面トップ記事。
「志布志・県議選事件『裁判時の主張変わらず』」
「裁判で裁判官に認められなかったということだ」とか。
言い換えると、「裁判官を認めさせるためのの証拠を提出できなかった」ということであり、「捜査を始めたこと自体が誤りだった(あるいは、事件が捏造だった、または、何者かに県警がいいように利用された)」ということだろう。
つまり、「そういう事実はなかったが、県警は正しい」と主張しているわけだ。
お見事!(笑)
裁判なんてそんなものだと、当事者が告白したわけだ。
裁判で勝ったほうが必ずしも正しいわけではない、ということだ。
これは鹿児島県警がかかわる、すべての裁判に適用されるのだろう。
さて。
「無罪判決を受け、県警が行った内部調査の結果を記録した公文書が存在しないことについて、『公判記録で県警の捜査のあり方に関する見解は示している』とした上で、『(刑事企画課新設など)再発防止策をまとめており、調査結果が文書になっていないというのは正確ではない。捜査のあり方については(公判記録で)とりまとめているので、あらためてまとめるのは屋上屋を架すことになる』と述べた」
藤山雄治本部長は本当にこう思っているのだろうか?
これで許されると?
屋上がスカスカなので何とかしてくれ、というのが県民(国民)の痛切な声だと思うが、その声が聞こえないのだろうか?
自分は部下に傘をさしてもらっているから、県民が野ざらしになっていることに気づけないのだろうか?
南日本新聞は「内部調査には、同事件の捜査上の問題点や課題を明確にし記録化することが求められていたのではないか。そうすることが、事件を普遍化し、後々まで生かすことになる」と書いているが、その通りだと思う。
岩井田親美刑事部長の説明が笑える。
内部調査の内容について「公判記録、捜査資料、判決、幹部からの聞き取りなどの確認」とし、「個人的なメモなどは残っているが、組織として保存しているわけではなく必要なくなればその都度破棄している。検討はそういう形で行ってきた」とか。
公務員なのだから、民間企業以上に、きちんと組織として残さなければいけないはずだ。
記録を残さなかったとなれば、「内部調査」という名目の「口裏あわせ」だったのではないか、と疑われても仕方ない。
実際にそうだったのだろうか?
今後は必ず記録を残すべきだろう。
ママゴトじゃないんだから。
国民は公務員に期待している。
とりあえず県警では「再発防止策」をまとめたことになっているらしい。
だとすれば、もし、もう一度、同じようなことがあったら、関係者全員、きちんと責任を取る覚悟はできているのだろう。
もう一度同じことをやれば、この組織は事実上、終わる。
むろん、退職金返納程度ではもはや誰も納得しない。